思ったことなど置いてみる

写真とか料理とかバイクとか

工場夜景 -四日市コンビナート-

先日、四日市コンビナートに行ってきました。

四日市市は、いわゆる「工場夜景」のメッカで、

工場夜景・四日市とかでググると、きらびやかな写真が乱立するわけです。

www.google.co.jp

 

溢れる光!

うう、、まぶしい、、

 やっぱアレか

 四日市コンビナート行くなら

 こういう写真を撮らないといかんのかな。

とも思ったのですが、何か違和感を感じます。

 

工場に限らず、Web上でよくみる「夜景」の写真って

「夜」な感じがしない。

というか

キラキラな光で「夜気」みたいなものがかき消されてしまって寂しい。

 

あと、
「あのな『夜景』いうのは、こうやって撮るんやで。」
という、何かの教科書とかを丸暗記してそうなオッサンが浮かんだりするのも鬱陶しい。
( ̄▽ ̄;)

 

 

で、こうなったわけです。

 

ほらぁ、やっぱ地味になる。

「もっとキラキラな感じで行かないと!」という声が聞こえる(幻聴)

 

やだ。

夜気のない夜景なんて、星のない夜空のようなものでしょ。

youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

でも、こういう仕上げも好きです。

※もう夜景じゃなくなってるけど

 

 

撮影

OMDS E-M1markII

ZUIKO 12-100mm, 75-300mm

Laowa 7.5mm

 

 

 

被写体

被写体。

「ひしゃたい」であります。

要は写真を撮る対象物であり「撮られるもの」ですね。

寝床に転がってたスマホ

 

写真の撮り手によって被写体は変わるわけですが、

・かわいいもの

・すごいもの

・リッチな感じのもの

・美しいもの綺麗なもの

・他人の目を惹くもの

・プロっぽい感じのもの

・いいねと言ってもらえそうなもの

等々、まぁ色々あるわけです。

通りかかった公園に自生してたシロツメクサ

 

で、写真好きは被写体を探すわけです。

・かわいいものはないか

・すごいものはないか

・リッチな感じのものはないか

・美しいもの綺麗なものはないか

・他人の目を惹くものはないか

・プロっぽい感じのものはないか

・いいねと言ってもらえそうなものはないか

 

「あー、ないなぁ、、」

そして疲れる。

信号待ちの足元

 

自分はというと、まぁ、そういうものを探すこともあるわけですが、

普段あまりそういうものたちは探さないのですよね。

 

もっと、こう、いい加減というか、

 なんてことはないんだけど

 ちょっといい感じかもしれないような気が

 しないでもない

みたいな半端なものが好きだったりします。

ポット

性格が曲がっているのでしょう。

 

なので疲れません。

疲れるほどのことをしてないので(笑)

 

「んー、最近撮れない、、」と悩んだりしてる人を見ると、

大変そうだなぁと心配になります。

足元のゴミ箱

 

プロならクライアントからの評価で収入が変わるわけですが、

趣味で撮ってるならそんなこともない。

 

もっといい加減でいいのになー、と思ったりするのは

ダメでしょうかね?

 

スシロー行った時の娘の手



 

 

学習能力

「頭のいい人」と言われる方というのは、

往々にして学校の成績が良い場合が多い。

 

学校の成績が良くて難しい学校を出てる=頭がいい人

 

というのが、まぁ一般的な感覚なのでしょうかね?

 

で、思うのですが、

「学校の成績が良い」というのは、

言い換えると「学習能力が高い」ということかと。

 

「これは、こういうものなのだよ」

と教えられた時に

「なぜ?」とか「どうして?」とか思わない。

 

「これは、こういうものなのだよ」

→ 「そうか、そういうものなのだな」とスムーズに納得/記憶する。

 

「それって何かおかしくないですか?」というような疑問は

仮に抱いても気にしない/口にしない。

教えられたことを効率よく覚えることを最優先する。

 

なぜなら学校の勉強の成果は試験で計られるのですから。

結果を出さなければ認められませんからね。

 

試験に関係ないことは、無駄な寄り道でしかないし

うっかり道に迷ったらアウトですからね。

 

何度も何度もそれを繰り返して、

疑問なんかはスルー出来るようになります。

自分で考えたりしちゃダメなんです。

教えられた通りに覚え、教えられた通りに考える。

それが効率の良い学習。

 

そういう学習能力を磨いた結果、良い成績や良い学歴が実現します。

俺は頭が良いんだ

そう自覚します。

多くの知識を持ち

多くの問題を解いてきたのだ

どんな科目でもあっという間に学習する術を持ってるのだ

 

 

ふむふむなるほど、学習能力ね。

それはそれで素晴らしいのだけどさ、

道に迷って自分で考えることも、

大事だと思うんだけどなぁ、、、

 

先生「はい、次はこっちですよ、ついてきなさーい。

   よそ見してる子は迷子にまりますよ。

   迷子になった子は、置いていきますからねー。」

 

 

テストの採点、、、

ツイッターで、このようなツイートを見かけました。

 

小学2年生の前学年復習テストのようですが、

この採点は一体何なのですか?

 

確かに「とめ」や「はらい」などが

間違ってる

のでしょうね。

 

・間違いは間違いなのだ

・採点基準は明確で公平であるべきだ

・きちんと書いてる児童もいるのだから、そのように書けるよう指導すべきなのだ。

 

 

学校というのは、教育の場でしょう。

 

教育というのは、

・何を

・何のために

・どのような相手に

・どのような段階の教育をしようとしているのか

そういうことを考えながら進めるものではないのですか?

 

そういうことを考えず、

・相手の状況を無視して

・一定のルールを

・一律公平に適用する

 

それじゃ科学の実験と同じじゃないですか。

ルールに照らして正しければいい?

教育本来の目的など、どうでもいい?

0は0として、1は1として処理すればいい?

 

人間相手に、子供相手に、

なにデジタルな処理をしているのですか、

この教師は。

 

人はコンピューターじゃない

単純なデジタル原理で処理する対象じゃない

もっと多面的でアナログな判断力が必要な場でしょう、教育という場は。

 

こんな

まるで生産ラインの品質検査ようなテスト

子どもたちを馬鹿にしてるだけじゃないですか

 

こんな教師が数%でも教育現場にいるなら

非常に大きな問題だと思います。

 

「物」を相手にした実験/検査。

そういう手順をに適用して

科学的だとか論理的だとかと勘違いしてる馬鹿

人間相手の教育の場から排除すべきと思います

 

 

デジタル技術は道具としては有効なものですが、

人に対して適用するものではありません。

人はデジタルより遥かに高度なアナログ存在ですから。

 

間違ってもコンピュータが人より上だとか

思わないで下さいね。

 

 

 

厚労省のデータ

先日、このような報道が各方面でありました。

ご覧になった方も多いのではないでしょうか?

 

business.nikkei.com

 

newsdig.tbs.co.jp

 

どこまでも厚顔無恥な発言ですね。

 

未接種に分類していた理由は不明

→ この時点で厚労大臣失格でしょう

 

だが意図的なものではない

→ いやいや、意図的なら公文書改ざんだし。

「意図的でないから問題ない」なわけじゃないし。

 

 

当初の報道では、以下のようなグラフが用いられて

そのビフォー/アフターの差に

「何だこれは?!」

となってたんですよね。

 

ビフォー

アフター

 

で、あらためて5/11の厚労省アドバイザリーボード資料を見てみたんですよ。

報道当初は、このグラフ ↑ が資料内にあったんですが、

今日時点ではそれが見つけられない。

www.mhlw.go.jp

 

あれ?

グラフどこ行った?

私が見たあのグラフは幻だったの?

いやいや、不思議ですね(棒)。

 

で、改めて表(上の画像の表です)を見てたんですけど、

下の方にあれこれ書いてある注記を見てて、

新たな不思議に出くわしてしまいました。

 

・違うデータソースからの数字を混ぜて

・一部データを除外して総数を見えなくし

・分母の定義を曖昧にし

・未接種/接種歴不明者の扱いを不明確にしてある

 

何なんですか?、これ。

厚労省の事務方が作ってるんでしょ?、これ。

てことは基本的には高学歴な賢い人が作ってるんですよね?、これ。

 

なのにこんな状態。

そもそも今回でも

接種歴不明除外してることがおかしい

わけですが、

 

まさかわざとじゃないですよね?

こんな滅茶苦茶なデータ集計、意味無いじゃないですか。

これを意図的にやっているなら論外だと思いますし、

意図なしにやっているなら「ア◯確定」と言っていいでしょう。

 

なぜ陽性者数と接種者数を別々のデータソースから持ってくるのか?

HERSYS・VRS、各々のデータで各々の統計を出して比較するなら分かりますが、

混ぜたらアカンやろ、混ぜたら。

 

そして年齢情報のないHERSYSデータを除外。

除外したらアカンやろ。

総数が算出できなくなってしまう。

 

そして不明確な分母。

 

 

何より悪質なのは

接種歴不明者について、陽性者数だけ発表して

10万人あたりの陽性者数を公表してないこと。

 

接種歴が不明であっても、そのデータの総数(当該人口)は分かるよね?

なのに何故10万人あたりの陽性者数を公表しないんです?

その数字がないと、

接種歴不明者数を接種済みに加算した場合の

10万人あたりの陽性者数が計算できないんですよ。

※未接種者の総数を総人口から接種者を引いたものとしていますが、その「接種者」がどこまでを含んでいるかが明示されていないので、接種歴不明者の総人口を逆算/確定することが出来ません。

 

 

接種歴不明の根拠はHERSYSに基づいてると書かれています。

そのHERSYSの入力画面の一部がこちら。

選択肢は、基本的に3つ。

「無」「有」「不明」。

 

さてここで問題です。

自分がワクチン接種していない場合、

「無」を選ばず「不明」を選ぶことがあるでしょうか?

 

「いーや、俺ワクチンとか打ったっけ?

 あれ?わかんないな。

 打った覚えないけど、ひょっとして打ってたりするっけ?」

とかあり得ないでしょ(笑)

 

もしそれで「不明」を選んだなら、

かなり重い問題を抱えていると思うんですよ。

 

要は普通は選ばない。

選ぶわけがない。

自分が打ってない事が分からない人は

常識的には存在しない。

 

ということは、

「不明=接種者」なんです。

 

専門知識も何も関係ない。

非常に単純な話でしょう?

 

なのに

その「不明」分を

除外してるんですよ厚労省は今回。

 

 

つまり

そういうことなんだね

 

と私は思います。

 

みなさんは

不明は不明だから除外

とか、思いますか?

 

 

 

ワクチンソフト、、、

「アンチウィルス・ソフトウェア」ってありますよね。

昔は「ワクチンソフト」等と呼ばれていました。

 

アンチウイルスソフトウェアとは、コンピュータウイルス(以下「ウイルス」)を検出・除去するためのソフトウェアである。

Wikipediaから抜粋)

 

、、、からの

ワクチン(注射の方)=ウイルスを除去するもの

みたいに思ってる人、

ひょっとしたらいるんじゃないかなー

という思い(不安)が頭によぎったんですよ、チラッと。

 

それ、違います。

 

注射の方のワクチンは、

それ自体がウイルスを除去するものではありません。

 

基本的にワクチンの中身は「ウイルスそのもの」、

つまり病原です

注:mRNAワクチンは違う仕組みです

 

「薬」ではないんです。

「病原」なんです。

だから何かに効いたりはしないんですよ。

 

もちろん完全な状態のウイルスではなく、何らかの形で弱らせたものです。

 

「ワクチン=弱らせたウイルス=病原」を注射する

→ 身体に侵入した病原に、自分自身が持っている「免疫機能」が反応

→ 免疫機能によってNK細胞やキラーT細胞・抗体などが病原に対抗する

というのが一般的な(従来の)ワクチンの仕組みです。

 

ワクチンそれ自体は、ウイルスを除去するものではありません。

よく聞く「抗体」は自分の身体(免疫機能)が作り出すものです。

 

 

で、あるならば、、、

 

・もしも自分の免疫機能が低下している状態で、

 病原であるワクチンを注射するとどうなるか?

 

何度も何度も「外敵」である病原を注射したら

 「外敵」に対する免疫機能の反応に「悪影響」が出たりもします。

 

A社が作った病原の後にB社が作った病原を注射した場合、

 それで何が起きるかはA社もB社も分からないんです。

 

・出会う外敵の数が極端に減ると(つまり綺麗にしすぎると)、

 免疫機能は弱くなってしまいます。

 

 

何かの感染症が流行った時、

自分の免疫が

ボロボロになっていないように

気をつけて下さいね。

 

 

 

Society 5.0 -ムーンショットの背景-

以前、こちらの記事の中でも取り上げた

内閣府が推進する「ムーンショット目標」。

 

seki-albatross.hatenablog.com

 

 

まぁ、これだけでもヤバさ満点なわけですが、

このムーンショット目標にはさらに背景があります。

 

それが

Society 5.0ソサエティー5.0)

2016年、第5期科学技術基本計画の中核テーマとして掲げられたものです。

www8.cao.go.jp

 

Society 5.0 ≒ 「第5世代社会」とでも訳せばいいのでしょうか。

狩猟・農耕・工業・情報に継ぐ5世代目の社会のことらしいです。

 

詳しいことはリンク先の内閣府のページをご覧いただければと思うのですが、その中にある模式図を見てみますと、なかなかに呆れます。

 

 

ご覧になってどう思われますか?

素晴らしい!と思いますか?

 

図の下半分を見てみますと、

「人が◯◯」という部分が

「自動走行で」

「AIが」

「ロボットが」

と人以外のものに置き換わっています。

 

勝手に運んでくれて

勝手に考えてくれて

勝手に作ってくれる

 

めっちゃ楽やん!♪ «\(´ω` )/»«\(  ´)/»«\( ´ω`)/»

って?

 

 

で、

このようなSociety 5.0社会を次のように表現しています。

===================================================

Society 5.0による人間中心の社会
これまでの社会では、経済や組織といったシステムが優先され、個々の能力などに応じて個人が受けるモノやサービスに格差が生じている面がありました。

Society 5.0では、ビッグデータを踏まえたAIやロボットが今まで人間が行っていた作業や調整を代行・支援するため、日々の煩雑で不得手な作業などから解放され、誰もが快適で活力に満ちた質の高い生活を送ることができるようになります。

これは一人一人の人間が中心となる社会であり、決してAIやロボットに支配され、監視されるような未来ではありません。

また、我が国のみならず世界の様々な課題の解決にも通じるもので、国連の「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals:SDGs)の達成にも通じるものです。

===================================================

 

どうでしょう?

「おお、なるほど素晴らしい」

そう思えますか?

 

「いやー、何もしなくていいんだ(ノ゚▽゚)人(゚▽゚ )/ イエ—イ」

と思えますか?

 

これが

「一人一人の人間が中心となる社会」

ですか?

 

私には

人がいなくてもいい世界

にしか見えません。

 

 

ヒトは道具を作り/使うことで進化して来ました。

 

先日も書いたように、この「道具を使う」のに必要となるのが

リテラシー=何かを正しく扱うための理解や技量

だと考えています。

seki-albatross.hatenablog.com

 

そして、

ヒト側の理解も技量も必要としないなら

それはもう道具じゃない。

とも書きました。

 

Society 5.0のページには、こんな図もあります。

※赤下線は私が加筆

 

どうやらリテラシーは不要なものらしいです。

 

あれもこれもAIやロボットに任せて自動化

道具を使うための理解も技能も捨てましょう。

 

それがSociety 5.0

 

「道具を使う生き物」をやめよう!

 

みんな揃って

居てもいなくてもいい存在になろう!

 

ほら、さっきの文章にも

支配され、監視されるような未来ではありません。

わざわざ書いてくれてますから安心ですね!

 

 

って、思います?

 

え?

AIに聞いてみる?

なるほど、そうですか ( ̄▽ ̄;)