AIについて語る時、それがどんなに優れた学者によるものであっても、その言葉が「ヒトによる、ヒトのためのAI」を目指したものであるなら、やはりそれは間違っているのだろうと思う。
それを目指す限り、
どんなにテクノロジーが進んでもヒトは幸せにはなれないのだろうな、
とも思う。
※ちなみに現在各種産業分野で用いられているようなAIは、例えば新素材研究を爆発的に加速させるような力があるわけで、こういう「道具としてのAI」の進歩・活用は大いに進むべきだろうと思う。しかしここで言ってるAIはそういう類のモノではなく、純粋に知性としてのAIのことなので、誤解なきよう。
某学者が言っていた。
「まず必要なのは、我々が理解し信用出来る明瞭な知性を創ることです」
この言葉に含まれる「ヒトの傲慢」を、AIはどのように扱うのだろう。
AIが知性としてヒトを超えた時、それが導き出す答えはヒトには理解できない。
そして理解できない答えをヒトは信用しないだろう。
「ヒトが理解し信用できる知性」は
「ヒトの範疇にあるもの」だけだ。
もしもヒトがAIに対して「ヒトの範疇」を超えることを許さないなら、
それはいったい何のためのAIなんだろうね?