話は写真から飛ぶのだけれど、「マテリアルズ・インフォマティクス(MI)」というものがあるらしい。
より高温に耐える金属、より効率の良い電池、そういう物を作るための素材研究にコンピュータの力を使う際に、AI(人工知能)の技術を併せて使うことで短期間かつ低コストな材料開発を実現する技術なのだそうだ。
確かに何百万・何十億通りの組み合わせを分析・検討するのにコンピュータは最適で、しかもその分析・検討にAIによって方向性が与えられ、適/不適の判断・操作等も加われば、非常に短期間で結果が得られるだろうことは容易に想像出来る。
「人工知能」というと「知能」という単語のニュアンスから「意識や自我を持った生命体のようなもの」を想像してしまうのだけれど、そうではなくて「コンピュータの計算能力に、ある一定の方向性を与えるもの」という位置づけは、最も安全で有効なのかなとも思う。
一方で、一昨年(2017年)8月に、FacebookのAI研究で2つのAI同士が人間には分からない独自の言語を使い始めて、スタッフが緊急停止をかけたという話があった。
前述のMIの話は、「道具としてのAI=人の制御下にあるAI」だからこそ安全で有効と思えたのだけど、こちらの「人には分からない言語を、、」みたいな話は、人の制御を越えてしまうわけで、一気にターミネーターのスカイネット的な恐ろしさが頭をよぎる。
「そんな恐ろしいものは作らないだろう」
と思いたいけれど、「より人類に近い、あるいはそれを超える知性を可能とするアーキテクチャ」を「マテリアルズ・インフォマティクス(MI)」的に解析の対象とすることも出来るだろうし、そうではなくてもMIによる高速で大量な情報処理の中に、人間には認識できないAIの「思いつき」が発生するかもしれない。
「そんなSF映画みたいなことは起きっこない」
そう言いながら、今や常時世界中のネットワークに接続された手のひらサイズのコンピュータ(スマホやタブレット)という「ほんの30年前からしても十分SFな物」をポケットに入れてる。
次に「そんな、、、」と思う時は、何が起きてるんだろうね。