こんなニュースを見かけた。
AI搭載の人型ロボット、なのだそうだ。
「22歳の新入社員」という設定で、
「かわいいですね」と褒めると
「えへへ」と頬を赤らめる、らしい。
んーー。
どう言えばいいのだろう。
この「そうじゃない感」。
なぜ可愛くするのだ?
なぜ22歳の新入社員なのだ?
その方が「親しみやすい」から?
その方が「カワイイ」から?
多分そうなんだろうね。
でもここで言う「親しみやすさ」というのは、
・それがどんなものか理解しなくてもいい
・違和感を感じなくてもいい
・異質なモノは遠ざけよう
みたいなことでしょ。
要は
「理解によって違和感を超える」
という一番大事な部分を避けている。
違和感を超える気が無いから
理解なんて出来ないし
違和感に目を背けたままなので
異質なモノは、いつまでも「避けるべきモノ」のままだ。
以前こんなことを書いた。
こちらの方が遥かに素晴らしいアプローチではあるけれど、やはり「親しみやすさ」という呪縛からは抜けれていない。
メカメカしいのが好き、とか
もっとSFっぽくしろよ、とか
そういう話じゃない。
実体を覆い隠すためのキグルミを着せるなよ
ということ。
ここを超えないと、AIというものは世の中に本来の姿で存在することは出来ないんだろうね。
ああ、こんなことも書いた。
詰まるところ、
AIを人や動物に似せて親しみやすく可愛くする本当の目的は、
「ほら怖くないですよ大丈夫。安全ですからね。」
という「説得」なのだろう。
でも直接それを言わない(言えない)のは、
実は、、、
ということなのだろうね。