今日、節分なのですね。
「鬼は外!」と豆をまくのは慣習として分かるのですが、
自分としては「鬼=悪いもの」とは思えないのです。
なので豆まきは嫌いです。
鬼
大きく強い異形の者
そしてよくわからないモノ
「わからない=怖い=悪い」という連鎖
それだけで「追い払うべき敵」と見なせる感性が受け付けられません。
これと同じような体験を、以前ゲームの世界で味わいました。
自分は「風ノ旅ビト(JOURNEY)」というゲームのプレイヤーです。
このゲームでは高く飛ぶことが出来るのですが、
・ゲーム内に「こうすると飛べるよ」という説明がない
・実装されている「飛ぶ力」が使えるかどうかはプレイヤーの工夫次第
・実際に飛べるようになるには「工夫」と「練習」が必要
というものになっています。
これにより、たとえ目の前で飛んでる姿を見ても
「自分は飛べない」
「何をしてるか分からない奴らだ」
という状況になるわけです。
で、どうなったか。
「あんなのチート(≒反則行為)だ!」
「バグプレイに違いない!」
と決めつけられ、悪者にされました。
一般のプレイヤーではない「特殊な存在」
良くない方法で良くない力を身に着けた存在
そういう目で見られました。
自分が「鬼」「物の怪」の立場に立たされた。
そう感じました。
ある時、ゲームの開発スタッフ(アートディレクター)の方が、
「私たちは"Swooping"と呼ぶ隠された飛行機能を加えました。」
と書いてくれたお陰で「チートなどではない」と証明されましたが、それでもまだ「鬼」扱いする人は存在します。
いやいや、チートじゃなくて斯々然々な特性があってね
それをこういう風に使うと飛べるんだよ
と言っても聞く耳を持ってくれない。
「鬼は外!」の鬼がどういうモノなのかは、わかりません。
ただ「わからない=怖い=悪い」という連鎖には、入りたくない。
安易に受け入れるのもダメだと思うけれど
安易に排除するのも同じようにダメだと思います。
警戒しつつ、それが何者なのか確かめる
そういう姿勢が持てる方というのが、
実は非常に少ない
ということを学んだ、ここ数年でした。
豆は撒かなくても、食べればいいよ。