ツイッターでとても懐かしいアカウントを見かけた。
「絵の描き方を教えてくれるエミネムさん」です。
お前ら絵描いてるか? 「エミネムさんが絵の描き方について教えてくれるそうです」を投稿して、今年の5月23日で10年になる。10年だ。早いもんだな。そして、絵を描きたい奴にとって良い時代になった。本当に、本当に良い時代になった。https://t.co/LyrNRA3cPq
— 絵の描き方を教えてくれるエミネムさん (@E_minem_san_bot) 2023年5月10日
そうかい10年になるのかい。
当時この動画を見て感心したのを思い出す。
このリンク先は、絵の描き方についての動画なんだけれど、
これって写真の撮り方にも完全に当てはまると思う。
(゚-゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン
構図がどうのとかRAW現像がどうのとかの情報は沢山あるけれど、
「見る」「考える」についての情報は少ないよね。
例えば「ストリートスナップ写真」とか
・歩いてる人が横切ってる
・自転車が横切ってる
・コントラストが高いモノクロ写真
みたいな「よくあるパターン」を追いかけて
「よしよし条件を満たしているからこれはストリートスナップだな」
と安心してるだけのような写真が多いと思います。
もちろんそういう写真もありですが、
「そればっかり」だったり
「そうではない写真はストリートスナップとは言えない」
みたいな本末転倒した人はけっこう見かけます。
少なくとも、街中で見かけた何かを自分なりに切り取った写真であれば
それはストリートスナップの範疇に入るんじゃないですか?
ジャンルの定義は人それぞれですが、その幅があまりにも狭いのは良くないと思うという話をしているんですよ。
それとも「それも押し付けだー」とか言いますか?
でも、何らかのパターンを追いかけてる限り、それは最初に言われている
「お前だけの世界を描き出すんだ」
が消えてしまっている状態なんですよね。
絵でも写真でも模倣は大事。
◯◯さんの写真をマネして撮ってみると意外と撮れない。
そこからあれこれ試行錯誤していくのは楽しいし、結果的に理解や技術が身につくのだけれど、ここでも「◯◯さん風な写真」から出れなくなってしまい、
「お前だけの世界を描き出すんだ」
が消えてしまっているケースが散見されます。
結局のところ、絵も写真も
「正解がない世界」なわけで
そこで
「お前だけの世界を描き出す」と
「人と違うコト」になる可能性が高いわけですよ。
「人と違うコト」が怖いと、それを恐れて
「◯◯なんだから大丈夫!」
といえる「何か」にしがみつきたくなる。
それが
よくあるストリートスナップのパターン
だったり
◯◯さん風
だったり
じゃないのかなと。
場合によっては
・これはラ◯カで撮った写真なのだ
・これはフラッグシップ機で撮った写真なのだ
・ものすごく高性能なレンズで撮った写真なのだ
のような機材マウントに走ることで
「だからこの写真はいい写真で、批判など受け付けないのだよ」
と、必死で身を守っているケースもあるように見えます。
お前だけの世界を描き出す
但し「これならOK」という正解はない。
自分の描くものが正解なのかどうか分からない。
「それではダメだ」
「下手くそ」
「間違ってるぞ」
そう言われたら言い返せない。
だから
「言い返せる材料」を必死に抱きしめて
怯えている。
そんな感じ。
でもね、そんなのどうでもいいじゃないですか。
「いいね」がもらえなくても問題ないでしょ?
確かに「いいね」とかで共感してもらえたら嬉しいですが、共感を得られなくても何の問題もないじゃないですか。
だってそれは、あなたの世界なのだから。
誰かに認めてもらうために絵を書いたり写真を撮ったりしてるなら別ですが、
そうでなければ何の問題もない。
私たちは工業製品ではないのですから、
人と違うなんて当たり前のことです。
それとも
一定の仕様を満たした工業製品として
認められたいですか?