すごいですよねー。
最も話題なのはChatGPTでしょうが、様々な会社が様々なAIをリリースしています。直近だとGoogleが自社AIサービスである「BARD」を大きく機能強化してきました。
参考動画
便利に、快適に。
それ自体は悪いことではないと思うのですが、開発側にも利用者側にも
「あなた(わたし)の代わりに」
というセリフが見え隠れする機会が増えてきているように感じます。
これってつまり
考えるのは面倒くさい(苦痛)
という所に帰着しそうなんですよね。
以前、こんなのを書きました。
リテラシーと言われるものを、自分は
何かを正しく扱うための理解や技量
と考えています。
しかし、昨今のAIはこのリテラシーさえ不要だと言い始めています。
内閣府が進める「Society5.0」の中でも
このように書かれています。
これ、明らかに
「もうリテラシー(活用能力)など要らないのです」
って言ってますわな。
ソース(内閣府: 科学技術政策 > Society 5.0)
いいですか?
そんなの要らないよね?
と言ってるんですよ?
・AIを優秀な道具として活用していく存在になるか。
・AIによって提供される必要な情報を信じる者になるか。
さてさて、どちらの道を選ぶのがいいのでしょう?
そうだ、BARD(AI)に聞いてみようヽ(゚∀゚)ノ
BARDの答はこんな感じ。
要は
「リテラシーを持って道具として活用すべき」という答。
あれ?
あれれ?
内閣府Society5.0と方向性が真逆だぞ?
AIは
リテラシー大事にしろ
だってさ、内閣府さん。