スピリチュアルなもの。
例えば宗教だとか超常現象だとか、そういうものを盲目的に信じてハマってしまう人がいる。
「科学的な根拠もないのに信じるとかあり得ない。」という人もいるが、実はそうではない。
根拠がないからこそ信じるのだ。
・「科学」の手が届かない領域
・根拠が示せない現象
それらの世界に至る繋がった理論はない。
道も階段もないその先に「それはある」が故に、一旦ハマると後戻り出来ない(戻る道も無いから)。
そしてそこに「救い」を求めてしまったら、戻ることはさらに難しい。
自分もスピリチュアルというかオカルティックな分野の話は好きだ。
但し、あくまでも「世の中には人間の理解を越えたわからないものがある」という認識を持つに留めている。
「わからないもの」は「わからないままにしておく」。
この「わからないものを『わからないままにしておく』」というのが、実は難しい。
「わからないもの」は怖いのだ。
怖いから何らかの解釈を与えて「わかるもの」にしたくなる。
安心できるものにしたくなる。
そして「救い」ですよ、お客さん。
よく分からないモノだけれど、救ってくれるモノがある。
名を与え、姿を与え、言葉を与えて「存在」させる。
存在するなら安心だ。
しかも誰もその存在を否定出来ない(理論、届かないから)
→やはり存在するんだよな
→存在するってことは、つまり自分を救ってくれるのだな。
根っこに「よくわからない」という恐怖を携えた「救い」。
これは強い。
否定したら「わからないもの」が復活してしまう。
ただでさえ救われたいのに、怖いものとか冗談じゃない。
「救われたい」と「怖いのイヤ」のコラボである。
「わからないもの」は怖いですか?
僕は「自分には、わからないものがある。」というのが好きなのです。
だってそこには、予想外の展開があるかもじゃないですか。
「わからないもの」を「わかりたい」人は、スピリチュアルなものとかに近づかない方がいいかもね。