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憲法改正について -年初に自分の頭のまとめ-

憲法改正について、ツイッター等様々な場所で様々な意見が出されています。

 

その中には

「とにかく改憲だ!」と叫ぶものや

「絶対改憲反対だ!」と叫ぶものも多く見受けられます。

 

何事についても極端は良くないと思っている自分としては、

「現行憲法には改善点はあるものの、守るべき良い点もある。」

というのが基本スタンスです。

 

 

そういうスタンスから、現時点で自分に見えている範囲で

改憲草案のどこに問題があるのかを、まとめてみました。

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constitution.jimin.jp

 

もちろん自分は法の専門家ではないので
間違っている点も多々あろうかと思いますが、

自分の頭の中の整理を第一義として、

さらに読まれる方ご自身が考える際の参考になる部分があれば幸いです。

※議論は目的としていません。予めご承知下さい。

 

 

以下、長文となりますがご容赦ください。

 

憲法第97~99条は「第10章 最高法規」に含まれます。

「第97条は第11条と重複するから削除されても問題ない」

と言う人もいますが、では

何故そもそも第10章は3つの条文で成り立っていて、

その3つの条文を束ねた章の名が「最高法規」なのでしょう?

 

最高法規として設けられた章に於いて、

第11条だけで終わらず改めて基本的人権の重要性を謳うことに意味があるのだ

と思います。

 

「第10章 最高法規」の最初に第97条によって基本的人権の重要性や永遠性がが謳われるのは、それこそが憲法最高法規である所以(理由)であるという宣言なのでしょう(実質的最高法規性)。

ヒトが大事な物は幾重にも包んで守るように、基本的人権を第11条だけでなく最重要なものとして強く守るために置かれたのが第97条なのだと思うのです。

 

また、中には

「本文から第97条が削除されても、

 代わりに憲法前文に基本的人権の尊重が謳われるのだから

 問題はないのだ。」

と言う方もいらっしゃいます。

 

しかし「本文」と「前文」は同じではありません。

前文には

「法規範性」はあっても

「裁判規範性」がありません。

つまり前文も憲法の一部なので簡単に改変は出来ません(法規範性)が

法的拘束力が無いので、裁判で判断の根拠にはならない(裁判規範性)のです。

 

本文の一部を削除して

代わりに同じような台詞を前文に書いたとしても

等価交換にはなりません。

従って大きな問題です。

 

 

そしてさらに重要なのは、

99条にある憲法を尊重/擁護する義務を負う者について、
・国民をその筆頭として対象に加え、
天皇と摂政をその対象から外している点。

 

なぜ国民を憲法で縛る?
なぜ天皇憲法で縛らない?

 

<現憲法 前文より引用>
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 

憲法前文の主語は「国」ではなく「国民」です

この主語が、

改正案では「国」に変えられてしまっています。

 

憲法国民によって宣言され、国民によって確定されるものです。

「国によって」ではありません。

 

また基本的人権は、

国民が 国に対して 「尊重せよ」とするものです。

国が 国民に対して 「尊重せよ」とするものではありません。

改正案の前文では、この方向性が逆転してしまっています。

 

憲法は、国民が

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」

した結果です。

その憲法の中で「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。(第102条)」などと記述するのは、論理的矛盾でしょう。

憲法は、国民が国を縛るものであって、国民自身を縛ってはならないのです。

 


さらに、天皇と摂政が明らかに憲法を尊重/擁護する義務を負わなくなります。

そもそも国政について一切の権能を持たず、国の象徴として内閣の承認下で国事行為を行うだけの存在を、何故改正案では「元首」と定めるのでしょう?

 

そのような実権を持たない形ばかりの元首であるにも関わらず、

憲法を尊重/擁護する義務の対象から外すのは何故なのでしょう?

 

どこにも合理性を感じられません。

何よりも天皇・摂政・元首といったものが

歪んだ解釈によって政治的に利用される危険性が僅かにでも増えること

にこそ目を向けるべきと思います。

 

これらの点から、現改正案を「改『正』」と考えることには無理を感じます。

 

 

一番大事なことは、

憲法というのは

が作り国民が守るものではなく

国民が作りが守るもの

ということです。

 

この基本的な方向性が、

現改正案では180度逆転しています。

 

憲法は国民のものです。

だからこそ国民である自分たちが理解しないと守れません。

憲法を国に渡してしまってはダメです。

 

 

 

※追記

いわゆる「緊急事態条項」について

 

改正案を語る時、緊急事態条項の話が必ず出ます。

もちろんそれは重要なことですし必要なことだとも思いますが、

改正案の内容を具体的に考える時に注意すべきことがあります。

 

改正案の中には、「緊急事態」という言葉が13箇所出てきますが

「緊急事態条項」という言葉は一度たりとも出ては来ません。

 

<13箇所の内訳>

1.目次 「第九章 緊急事態」

2.第二十五条の三 「緊急事態が生じた時には~」

3.第九章 「第九章 緊急事態」

4.第九十八条 「(緊急事態の宣言)」

5.第九十八条 「その他の法律で定める緊急事態において、」

6.第九十八条 「閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」

7.第九十八条2 「緊急事態の宣言は、」 

8.第九十八条3 「国会が緊急事態の宣言を」

9.第九十八条3 「百日を超えて緊急事態の宣言を」 

10.第九十九条 「緊急事態の宣言の効果」

11.第九十九条 「緊急事態の宣言が発せられたときは、」

12.第九十九条2 「緊急事態の宣言が発せられた場合には、」 

13.第九十九条3 「緊急事態の宣言が発せられた場合においては、」

 

「緊急事態宣言と緊急事態条項は違うのだ!」

と叫ぶ人が多いです。

もちろんこの場合、昨今の感染病対策として発布された緊急事態宣言を指すことは言うまでもないことですが、憲法改正を語る時にそのままの言葉を用いてしまうと不要な誤解を招く可能性が出てきます。

 

具体的な条文を見ると

「緊急事態の宣言」こそが「緊急事態条項」の本体であることが分かります。

 

ここでうっかり「緊急事態宣言はOK」と言ってしまうと

緊急事態宣言

=緊急事態の宣言

=緊急事態条項はOK

 

という曲解に繋がる可能性が生じる点は、

意識しておく必要があると思います。