ちょっと前に「ハードSF」として期待されたアニメがあった。
別に制作側が「これはハードSFです」と謳っていたわけではない。
視聴者側のSFファンが勝手に「これはハードSFに違いない」と期待しただけの話だ。
ところが作品後半になり、いわゆるデウス・エクス・マキナによる超展開で物語は収束する。僕はSFファンとかではないので「作者が言いたかったのはこれだったのかなるほど!」だったのだが、SFファン達は憤慨した。
「期待したのに駄作だった」と。
「薄っぺらで使い古された最低な展開だ」と。
それはそれは酷い非難が相次いだ。
そして放送終了後しばらくしてから総集編的なものが公開された。
その総集編では最後の超展開の部分が変更されていて、ある種の謎を残したまま物語を集結させていた。
するとSFファン達の評価が上がった。
「良くなった」と。
「やはりSFはこうだろ」と。
「原作者あるいは脚本家が何を表現したかったのか?」ということは無視され、「◯◯とは、かくあるべきなのだ」というステレオタイプが優先されるこのような「◯◯ファンな人たちの評価姿勢」というのは何なのだろう?
◯◯の世界を支えてきたのは、自分たちのような「分かった者たち」なのだ。
作者たる者は、我々の期待に沿った作品を提供すべきなのだ。
そうでない作品などは評価するに足りないゴミなのだ。
期待するものを提供せよ。
作者が何を出してくるかを考えるとか面倒くさい。
いいから分かりやすいもの/期待するものをちょうだいな。
知ってるものしか食べたくないの!
アーーーーン
あー、これはわたしの知ってるカレーの味じゃないからきらーい。
こんなのカレーじゃないし、さいてー。
こういう子供みたいな客ばかり相手にしてると、料理人がいなくなってしまう。
全部インスタントになってしまう。
それは子供が悪いのか?
それとも。