以下、かなりの戯言です。
多分つまらないと思います。ただ書き留めておきたかっただけのことなので、読み飛ばしてもらってかまいません。
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写真やカメラに魅力を感じて、初めてカメラを買ったのは13歳の時だ。
それまでにもらったお年玉が、結構な額にまで貯まっていた。その多くを使って一眼レフを買った。
自分で写真を撮りながら、様々な写真関連の雑誌なども購読していた。
カメラの構造や露出制御のノウハウなどを興味深く読んでいたが、今ひとつピンと来ないものがあった。
「コンテスト」
沢山の人が色んな写真を応募して、最優秀作品が選ばれる。
ピンと来なかったのは、この「優秀」と「選ばれる」という2つのこと。
「良い写真」「上手い写真」が、審査員の目で「選ばれ」る。
少なくとも自分にとって、写真というものは自分が見て感じたものを四角い印画紙に残すこと。なので撮った写真の出来・不出来は「自分が見て感じたものが、ちゃんと残されているかどうか」の一点に尽きる。
技術的なものは当然必要になるけれど、どんな技術を使っているかは問題にはならない。
機材も必要になるけれど、どんな機材を使っているかは問題にならない。
「自分が見て感じたものが『上手く』残せたかどうか」は大事だが、構図だの露出だのが「技術的に上手いかどうか」は問題ではない。
まして撮った写真が芸術的に優れているか、アートたり得ているかなど、全くどうでもいい。
審査員に評価してもらって、優秀であると言われることそれ自体は嬉しいことだろうなとは思うし、何であれ褒められることは好きなので、自分の写真が誰かに褒められたら嬉しいだろうな、、、とも思う。
だからコンテスト自体を否定する気はない。
ないのだけれど、それほど興味を引かれない。
技術的なことに興味があるのは、自分が見て感じたものを「上手く」残すために役立つからであって、誰かから「上手い写真」「良い写真」と評価してもらうためではない。
要は自分にとっての写真というものは「他者への表現」ではなく、「自分が感じたものの定着と確認」に近いのだろう。
結果的にカメラはそのための「道具」以上のものにはならないので、選択基準も「自分にとって必要な機能があるかどうか」と「使い心地」が重要になる。
なので
「35mmフルサイズの一眼レフこそ至高!」
とか
「ミラーレスとかは初心者向けだね」
とかの話を聞くと、冷める。
道具の価値は、使い手の用途で変わる。
コンビニに行くのにジェット機では不便だし、海外に行くのに自転車では無理だ。
「ジェット機すげー!」とは思うけれど、そんなに海外に行きたくはないので、自分で持ちたいとは思わない。
「どんなカメラを買おうか」という話になれば、一番に「どんな風に写真を撮るんです?」と聞く。
「いや、やはり初心者の方にはミラーレスがいいですよ。」とか、「あとで後悔しますから、最初からちゃんとした一眼レフを買われた方がいいですよ。」とかにはならない。
誰かが撮った写真を見ても「アート・芸術」として見たり評価したりすることはない。
「この写真を見て自分が感じたことは、写真を撮った方が感じたことに近いんだろうか?」とか、「撮った人は何を感じたのだろう?(わからん)」とか、そんなのばかりだ。
他者への「表現手段」として写真を用いている人からすると「何だこいつ」なのだろうね。
こんな事を書き留めたくなったのは、一般的とは言えない自分の価値観みたいなものを、文字として「定着・確認」したくなったからで、やってることは写真と変わらないねというのが、オチと言えばオチなのだろう。
非常に少ないだろうとは思うのだけど、もしも同じような感覚を持つ方がいらしたら、「同意」の一言でいいのでコメント頂けたら嬉しいです。
なかなか巡り会わないので ( ̄▽ ̄;)