思ったことなど置いてみる

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話の切り分け ウイルスのこととか

ウイルスは存在するのか?

ここ数年、ずっと言われることです。

 ウイルスなど存在しない!

 ウイルスが単離された実績などない!

 いやウイルスはちゃんと存在する!

 電子顕微鏡でもその姿は撮影されているじゃないか!

等々

 

これらの論争に対して、

京都大学ウイルス・再生医科学研究所

宮沢孝幸 准教授が2022年10月に説明の動画をUPされました。

それがこちら。

 

この動画の説明欄で宮澤准教授は

「今回の説明によってウイルスの存在についての論争は終わりました。」

と書いています。

つまり

ウイルスは存在するのだ

と言われているわけですね。

 

ところが、です、

この動画の後半で、宮澤氏はこうも言っています。

動画27分52秒から

「ウイルスはもちろん存在するんだけど、「分離」っていうのは厳密には出来てない。それから登録されてる配列がこの世に存在するんですかというと「うーん、わからない。まぁないでしょ。」っていう話だけど、それを言うと「いや、じゃぁないんじゃん」という話なんだけど、いやそれは、あの、実験的な、あの、主義、えぇ限界、によって、えーそういうことになるんですよね。」

 

モヤ モヤ モヤ モヤ 、、、、な感じ。

もちろん存在するけど分離は厳密には出来てない?

登録されている(=コンピュータで論理的に構築した)配列を持った塩基が自然に存在するのかどうかは、わからない?ないでしょ?

でも実験上それが限界なんだもん、ってこと?

 

このモヤモヤ感を、自分なりに整理してみたんですけどね。

要はこの動画に限らず、この話題全体として、

 

「ウイルスと呼ばれている粒子」が存在するかどうか

という話と

ウイルスと呼ばれている粒子が病原なのかどうか

「病原としてのウイルス」が存在するかどうか

という話が

混同されているのだな、と感じます。

※宮澤氏の説明は前者についてのものだと思います

 

 

しかし、一般に

ウイルスは存在するのか?

疑念を掲げている人の

その言葉の主旨は

「病原としてのウイルス」が存在するかどうか

の方にあると思うんですよ。

 

ウイルスと呼ばれている粒子は「エクソソーム」と呼ばれている粒子と酷似していて、同じものなのか違うものなのかも判然としていない状態です。

しかし、その粒子自体が存在することは確か。

この時点で

「ウイルス(と呼ばれている粒子それ自体)は存在する」

と言えるでしょう。

 

一方で、

 ではその粒子が「病原」なのか?

 その粒子が人から人に病気を伝染すのか?

となると、話は別です。

 

そして論争の焦点は、こっちにある。

 

 

「待て待て、ウイルスが病原でないならワクチンとかあり得ないだろ?

 それにウイルスが病原でないなら、何が病原だというのだ?」

 

当然こういう疑問が立ちます。

つまり別の説明が求められます。

 

しかし、です。

ウイルスが病原であることの証明

は、それ単体で証明を要する話です。

 

もし証明出来ないなら病原は何なのだ?

というのは、また別の話です。

他に説明がないのなら、今ある説明が「真」なのだ。

などということは決してないんですよ。

 

 

さて、

今日の話のテーマは「話の切り分け」です。

 

・ウイルスと呼ばれる粒子が存在するかどうか

 という話と

・ウイルスと呼ばれる粒子が病原かどうか

 という話は、別の話です。

 

同じように

・ウイルスが病原であることの証明があるか

 という話と

・ウイルス以外の病原が説明されるかどうか

 という話もまた、別の話です。

 

これらの話を完全に切り分けて検討し、

最終的にどこに真実があるのかを探っていく必要があります。

そして最終的に同じゴールに達するはずではあっても

途中で混ぜてはいけないんです。

 

このように、

途中で曖昧に混ぜることを避け

個々の話を切り分けて、それぞれの是非を判断し

最終的にそれらを持ち寄って、総合的な判断をする。

という工程は非常に大事なことだと思っています。

 

面倒くさがって、あれもこれも一緒くたにして

それは◯◯だ! ◯◯に決まってる!

と叫ぶ人が少なくないですが、

やはり話を丁寧に切り分けて

混ぜることなく

個別にジャッジしていくことは

大事だと思うよ

という話でした。