思ったことなど置いてみる

写真とか料理とかバイクとか

リテラシーと道具

随分前にこんなのを書いた。

seki-albatross.hatenablog.com

 

時々耳にする単語リテラシー

 

ややこしい。

何だかわかったようなわからないような

「カタカナ使えばいいってもんじゃないぞ!」

の代表みたいな単語。

 

(゚-゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン

変にカタカナにすると意味が見えにくくなる。

要は

何かを正しく扱うための理解や技量

と解釈すればいいのではないかと思う。

 

特に「道具」

・コンピュータ/スマホ

・クルマ/バイク

・カメラ

・フライパン

・包丁

そういう道具たち。

 

そして最近だと「マスク」。

 

それはどういう物なのか

どういう原理で何をするための道具なのか

 

専門的な細かな知識ではなく、ザックリとした基礎概念を理解することの大事さ。

 

例えばクルマの「オートマ」って

何がオート=自動化されているか、分かってますか?

トルコン式の多段変速とベルトによるCVTでは

何がどう違うのか(「どちらが良いか」ではなく)

説明することが出来ますか?

 

 

そして機能があっても使う側の技量が無ければ役に立たないもの。

 

例えばクルマの「ABS(Anti-lock Braking System)」。

タイヤをロックさせないための機構ですが、

そもそもタイヤをロックさせるだけの急ブレーキをかける運転技量が無ければ、ABSが作動することもない

 

道具である以上、使う側=ヒト側の理解と技量が問われる。

当たり前の話。

 

ヒト側の理解も技量も必要としないなら

それはもう道具じゃない。

 

道具はヒトが使うもの。

道具じゃない何かに、こっちが使われないようにしないとね。

 

 

 

 

知識と理解

先日、知人とクルマの運転について雑談していたのですが、

知人が

「友達がマニュアル車に乗ってるんだけど、

 それが古い車でさ。

 ギア変える時に何かすっごいギクシャクするんだよね。」

と言い放った。

 

いやそれ、運転の問題やろ。

 

ていうか、ほぼ確実にギアチェンジの操作が下手なんだと思うんですよ。

 

 

知人はオートマ免許なので、マニュアル車を運転したことがありません。

教習所ではマニュアル車のことを学科教習で教わったかもですが、運転経験がない。

 

なので

「ギクシャクしてる=クルマが壊れてる」

という風に思ったのでしょう。

 

 

やはり

「知ってる」ということと

「理解してる」ということには

大きな隔たりがあるのだなぁ、と再認識したのでした。

 

もちろん、運転経験がなくても理解している人もいるでしょうが、やはり体感/経験の有無は理解の度合いに無視出来ない差を生むものと思います。

 

 

 

がま口

はい、リコーGRIIIxであります。

 

いわゆる「スナップ撮影」に特化したデザインと機能性を持ったカメラなので

「ケースとか要らんし」

と思っているわけです。

 

 

一方、バッグ類とかではガバッと開く「がま口」が好きなので、

普段使いのバッグもこういうがま口系のものを使っていたりします。

 

そして時々Webで
「良いがま口は、いねがぁー」

と各種ショップとか見て回ってるのでs...

お?

 

https://ayanokoji.itembox.design/product/040/000000004018/000000004018-02-l.jpg?t=20220517125051

 

なんという素敵な がま口!

AYANOKOJI Sarei がま口アイコスケース【Sarei コーデュラ(R)Eco Fabric】 [M便 1/6] | AYANOKOJI(あやの小路) 公式通販

 

アイコス(加熱式タバコ)は使ってませんが、
この大きさ感、、、

 

https://ayanokoji.itembox.design/product/040/000000004018/000000004018-06-xl.jpg?t=20220517125051

これって、ひょっとして、、、

 

(゚∀゚) アハハ八八ノヽノヽノヽぴったり過ぎたわ。

 

不意に訪れるシンデレラフィット!

素晴らしい。

 

ちなみに送られてきた納品書には

あめちゃんが同封されてました。

さすが関西(笑)

 

 

おや?

他にもいい感じのがま口が、、、

 

あ、これええやん、、、

 

こっちもええな、ふむふむ、、、、、

 

( ̄▽ ̄;)

 

 

 

羊人

シープル

Sheeple(シープル)という単語があります。

これは「羊」と「人々」の合成語。

支配権力や市場の流行に簡単に操られる人々の受動的な群れ行動を、「簡単に」導かれる群れの動物である羊になぞらえた蔑称なのだそうです。

 

Word Spyでは

おとなしく、説得されやすく、群衆に従う傾向がある人たち(羊+人)」

と定義しています。

 

Merriam-Websterでは、

おとなしい人、従順な人、影響を受けやすい人:羊に例えられる人」

と定義しています。

 

起源は不明ですが、W・R・アンダーソンが1945年にロンドンで出版したコラム『Round About Radio』で、こう書いています。

 

単純な真実は、政府では何でも逃げられるということだ。

それは、その時代のほとんどすべての悪をカバーしている。

一度入ったら、どうやら誰も追い出せないようだ。

国民は、相変わらず(私はSheepleと綴っている)、何にでも耐えるのだ。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

 

原文はこちら。

en.wikipedia.org

 

おとなしく、

説得されやすく、

群衆に従う傾向がある人たち。

f:id:seki_albatross:20220415071018j:plain

 

 

seki-albatross.hatenablog.com

 

 

 

 

 

今更ながら9.11を思い返してみる

2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が発生しました。

通称「9.11」と呼ばれる事件ですね。

詳しい状況はこちら。

ja.wikipedia.org

 

2001年に成人してた人は、2022年現在で41歳を超えています。

2001年に10歳だった子は、現在31歳

 

ということは

20代以下の人たちにとっては、

ほぼ知らない/覚えてない事件。

 

旅客機がビルに突っ込むという、とんでもないテロだったわけですが、当時この事件については様々な疑惑が出されていました。

 

何せ屋上高が410mを超える110階建てのビルが、

わずか10秒ほどで真下に崩落したのですから。

 

【参考動画】

youtu.be

 

youtu.be

 

しかし疑惑を表明した人は「変人扱い」されました。

あり得ないことが眼の前で起きても、

政府やマスコミが伝えることだけを信じる人

圧倒的多数

 

 

 

さて、

話は変わりますが、今日、バイクで出かけました。

 

愛知県の稲武にある「どんぐりの里いなぶ」という施設に行ったのですが、よく晴れていたこともありとても盛況。

 

現在改装工事中とのことで仮説店舗が設けられていたのですが、

このドピーカンの青空の下、

ほぼ100%の人がマスク着用。

 

テント下で飲食している人は(流石に飲食中なので)外していましたが、

それ以外で立ち歩いてる人はほぼ全員マスク。

 

気持ちのいい風が吹き渡る晴天の屋外で

マスクマスクマスクマスク。

 

私はマスクしていませんでした。

 

 

2022年3月28日、国立感染症研究所新型コロナウイルスの感染経路に関する発表を行い、従来否定していたエアロゾル感染」を認めました。

 

www.niid.go.jp

 

そして一般的な不織布マスクで、このエアゾル感染を防ぐことはほぼ不可能です。

 

逆に長時間のマスク装用によって、

・マスクの内側に付着した自身の唾液や飛沫が乾燥してエアゾル

 → 飛散して周りに拡散 & 自身で再吸引してしまう

 

・マスク内側は高温多湿な状況で、雑菌が繁殖

 → 非常に不潔

 

・自身の呼気に含まれる二酸化炭素を再吸入

 → 二酸化炭素濃度上昇による弊害

seki-albatross.hatenablog.com

 

等々のデメリットが発生します。

 

どう見てもデメリットだらけじゃないですか?

エアゾルより遥かに目の大きな不織布

隙間だらけで呼吸が漏れまくりの薄い布一枚で

エアゾルが防げるとお考えですか?

 

 

110階建て410mを超える超高層ビルが10秒で垂直に崩壊しても疑問に思わない

 

エアゾル感染だと発表があってもマスクは外さない

 

きっと、

「マスクの着用は任意です

「マスクは着けなくてもいいですよ」

そう言われても外さない。

 

だって

自分で判断などしたくない

周りに合わせておくのが一番だから

 

「マスクは着けないで下さい

「マスクは外して下さい

テレビがそう言って指示してくれるまで

ずっと着け続けるのでしょう。

 

だって「指示」ならば、

責任は自分ではなく「指示した側」にあるから。

 

 

410m超のビルが10秒で真下に崩落しても

おかしいと思わなかったのですものね。

 

 

はい、解散。

 

 

 

詳しい方、教えてくださいな。-電流と電子-

その昔、理科の時間に

電流+プラス極から-マイナス極に流れる

と習いましたが、実は

電子-マイナス極から+プラス極に流れる

と知って以来、理解がフリーズしている隻ですこんにちは。

 

 

これ、時々思い出してはググったりもしてるんですが、

どのサイトを見ても書いてあることは大同小異。

 

【よくある説明】

 

●電子が発見される前に電流の流れる向きを決めてしまったので、

 電流と電子の向きが逆になってしまった。

 

→いやいや、それは「事の経緯」であって、

「逆のままでOK」っていう説明じゃないでしょ。

 

 

●それぞれ決め事なのだと考えればよい。

 

→よくねーし。いいわけないだろ(笑)

 ていうか電流の向きは人の推測で、電子の流れる向きは観測結果でしょ。

 何でこれを「それぞれ決め事」とか思えるんだ?

 

 

いったい何がどうなってるんですか?

これだけエレクトロニクスが発達してるんですから、きっと答えは分かってるはずなんですよね。

でもそれらしい答えが見つからない。

答えが見つからないということは、「分かってるはずの答え」が教育されていないということでは?

では、なぜ教育されないのだろう?

 

電気の極性では「交流」というのも訳わからんです。

+-の極性がコロコロ反転するんでしょ?

その時、電子の流れどうなってんですか?

 

きっと「分かってる方」からすると猿並みの疑問なんでしょうが、

状況から素直に考えた場合に思いつく答えとしては、

 

実は電流は流れていない
(「流れる」のとは別の状態にある)

 

という荒唐無稽で浅学非才な考えが浮かぶわけです。

 

 

電気とか電子に詳しい方、

何がどうなってるんです?

 

教えてくださいな。

 

 

 

文法とか 構図とか

娘が勉強しているのに横からチャチャを入れたりします。

完全に邪魔をしています、すみません。

 

「文法がよくわからん」

ある時、娘が言ったのです。

 

うん、俺もわからん(笑)

 

そもそも言語というのは自然発生的なものであって

文法ありき

で成り立っているわけじゃない。

 

「うーわ、やっべ。」

とかを文法を意識して喋ってる人なんていない(と思う)。

 

まず沢山の言葉があって

その言葉の中にある法則性を抽出したのが「文法」

だと思うんですよ。

 

文章を書く時にテクニックというのはあると思います。

修辞法とかレトリックと呼ばれるものが代表的でしょうか?

ja.wikipedia.org

ここから抜粋してみると、

比喩
 直喩法
 隠喩法 
  換喩法
  提喩法
  諷喩法
擬態法
 擬態語・擬音語・擬声語
擬人法
 擬物表現
 生物形象・無機物形象(擬人表現と擬物表現の逆相関)
倒置法
反復法
同語反復
首尾同語(反照法)
体言止め
反語
呼びかけ
パラレリズム
 対句
押韻
語句の挿入
省略法
緩叙法
漸層法
対照法
敷衍(ふえん)
パロディ
畳語法・畳句法・畳音法
疑惑法
誇張法
列挙法・列叙法
折句
史的現在
撞着語法
頓降法/漸降法
 頓降法
 漸降法
黙説
冗語法
転用語法

 

などがあるのだそうですが、抜粋するだけで疲れるわ。

 

ではこれらの方法を使えば

 上手な文章 

 分かりやすい文章

 伝わりやすい文章

 豊かな表現の文章

 感動する文章

 面白い文章

などが書けるのか?

というと、

「そんな訳ないでしょ」

としか思えない。

 

 

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で、

これを写真に当て嵌めてみると

いわゆる「構図」の話になるのでしょう。

 

代表的な構図を調べてみると、こんなのがあるのだそうです。

 日の丸構図
 額縁構図
 サンドイッチ構図
 トンネル構図
 三分割構図
 二分割構図
 放射構図
 三角構図
 対角線構図
 アルファベット構図
 黄金分割点

 

あっはっは、

日の丸と額縁と三分割くらいは知ってたけど、

あとは知らん。

 

「写真は構図ありきだ!」

と力説する方もいらっしゃるのですが、

それって

「文章表現は修辞法ありきだ!」

と叫ぶのと似てるというか同じと言うか、

要は

「順番が逆だよね」

と思うわけです。

 

文章であれ写真であれ、

1.あーでもないこーでもないと自分の中にある物を捻り出してみて

2.何だかんだと試行錯誤を重ねて

3.自分が表現したいものを掴んで

4.それをどうやって表現するかをまた試行錯誤する

っていうのが普通の流れじゃないですか?

 

・テクニックを並べて

・どのテクニックを使うのかを考えて

・より効果的な適用方法を選ぶ

ていうのは少なくとも先の手順の4以降でしょうし、

「どのテクニックもピンと来ない!」

ってのも普通じゃないかと。

 

最初から

「こういうものを撮る時は、この構図(テクニック)を使うべし」

「こういうテクニック(構図)は初心者的でよろしくない」

みたいなステレオタイプなアプローチって違うよなと。

 

更に言うと、

「捻り出す」「試行錯誤」な部分こそ楽しい

と思うのですが変ですか。

 

というようなことを、

「写真の撮り方」

とか

「基本の構図◯◯選!」

とかっていう本のタイトルを見る度に思っている方、います?

( ̄▽ ̄;)